あれは3年前の夏でした。駆け出しのお笑い芸人である僕に、身の丈に合わないほど大きな仕事が舞い込んできたのです。
それはゴールデン番組の企画で「お笑い芸人がミャンマーの山岳地帯にいる部族と1週間一緒に生活をする」という、いわゆる体当たりロケ企画でした。
初めてのゴールデン番組……初めての海外ロケ……僕は舞いあがっていました。過酷なロケになることは想像できましたが、むしろ望むところで「これを機に売れてやる!」ともくろんでいました。
そうして鼻息荒くのりこんだミャンマー。
しかし……、ミャンマーに着いてすぐ僕は体調をひどく壊してしまいました。原因は着いてすぐに食べた、露店のよく分からない変なスープでした。
食中毒をおこしてホテルで寝込む僕。やっとつかんだチャンスの矢先に……最悪でした。
スタッフさんの「まったくもう……」という心の声が聞こえてきそうでした。
病院で医者に診て貰うと、一般的な食中毒よりもヒドイ症状だそうで、かなり強いなんとかウィルスが体に侵入しているというのです。
そして1週間は絶対安静とのこと……。僕はそのままミャンマーの病院に入院することになってしまいました。
もちろん当初の目的だった番組のロケはできません。スタッフさんは急いで日本に連絡して代役でそのロケが出来る芸人を見つけると、
「これ、帰りの航空チケット。俺たちはロケで病院に来れる暇ないから……。
退院したら自分で帰って」と病院を去っていきました。本当に悔しくて仕方がありませんでした。そしてスタートしたミャンマーでの入院生活……。
部屋にテレビやラジオはあれど、ミャンマー語も分からないし暇つぶしにもなりません。正直、食事も美味しくないし……。
ただただ寝て起きて、腹痛に耐えて、という日々が3日は続きました。4日目になると、体もある程度動けるようになったので、病院内をフラフラと散策していました。
すると、なにやら地下に続く階段があるのを発見しました。入れないようにチェーンが張られていて、階段をふさぐにように看板も立てられていました。
看板にはミャンマー語で何やら文章が書かれています。
「この先に何があるんだろう……」好奇心が芽生えた僕は日本で買った「ミャンマー語入門」という本を取り出しその文章を調べると、「スタッフ以外立ち入り禁止」と書かれてあることが分かりました。
ダメだと分かっていつつも……僕はチェーンをまたいで階段を下りていきました。例え見つかって怒られても「ミャンマー語が分からなかったから」と言い訳すればいいや、と思いながら。
階段を下りた先には、両開きの重厚なドアが待ち構えていました。立ち入り禁止の看板、重厚なドア……、気になる度100%でした。
「どうせ鍵かかってるパターンでしょ」とドアを押してみると、ギィっと開いちゃったんです。かすかな光も漏れてきました。
心臓を高鳴らせてそっと覗くと……。
大きな手術台の上に、ヨボヨボの老人男性と3歳くらいの赤ちゃんが横たわっていました。
ピクリとも動かずに……。
「まさか……死んでるの……?」僕は部屋にその二人以外誰もいないことを確認し、その手術台の前まで行きました。
間近から見た老人と赤ちゃんは、目は陥没し、呼吸をしていませんでした。そう、完全に死んでいたのです。
怖くなってすぐに立ち去りました。
「なんで死体が手術台の上に放置されてるんだ……」不思議で仕方ありませんでした。
嫌なモノを見た……とかなり落ち込みました。
それから3日後の夜中。尿意をもよおした僕がトイレに行こうと廊下を歩いていると、正面から足音が聞こえてきました。
消灯後の暗い照明で、初めは分からなかったその姿……お互いが近づくにつれハッキリと見え始めると僕は震えが止まらなくなりました。
向こうから歩いてきたのは、地下の部屋で手術台に横たわり死んでいたはずの老人と赤ちゃんでした。
二人は手をつなぎ、まるで祖父が孫と散歩しているように歩いていました。そしてすれ違う緊張の瞬間、老人は僕の方を向きこう言ったのです。
「マトゥエイダーチャービナオ」
──病室に戻ってからそのミャンマー言を調べてみると……。
「おひさしぶりです」
という意味でした。気を失いそうになりました。
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それはゴールデン番組の企画で「お笑い芸人がミャンマーの山岳地帯にいる部族と1週間一緒に生活をする」という、いわゆる体当たりロケ企画でした。
初めてのゴールデン番組……初めての海外ロケ……僕は舞いあがっていました。過酷なロケになることは想像できましたが、むしろ望むところで「これを機に売れてやる!」ともくろんでいました。
そうして鼻息荒くのりこんだミャンマー。
しかし……、ミャンマーに着いてすぐ僕は体調をひどく壊してしまいました。原因は着いてすぐに食べた、露店のよく分からない変なスープでした。
食中毒をおこしてホテルで寝込む僕。やっとつかんだチャンスの矢先に……最悪でした。
スタッフさんの「まったくもう……」という心の声が聞こえてきそうでした。
病院で医者に診て貰うと、一般的な食中毒よりもヒドイ症状だそうで、かなり強いなんとかウィルスが体に侵入しているというのです。
そして1週間は絶対安静とのこと……。僕はそのままミャンマーの病院に入院することになってしまいました。
もちろん当初の目的だった番組のロケはできません。スタッフさんは急いで日本に連絡して代役でそのロケが出来る芸人を見つけると、
「これ、帰りの航空チケット。俺たちはロケで病院に来れる暇ないから……。
退院したら自分で帰って」と病院を去っていきました。本当に悔しくて仕方がありませんでした。そしてスタートしたミャンマーでの入院生活……。
部屋にテレビやラジオはあれど、ミャンマー語も分からないし暇つぶしにもなりません。正直、食事も美味しくないし……。
ただただ寝て起きて、腹痛に耐えて、という日々が3日は続きました。4日目になると、体もある程度動けるようになったので、病院内をフラフラと散策していました。
すると、なにやら地下に続く階段があるのを発見しました。入れないようにチェーンが張られていて、階段をふさぐにように看板も立てられていました。
看板にはミャンマー語で何やら文章が書かれています。
「この先に何があるんだろう……」好奇心が芽生えた僕は日本で買った「ミャンマー語入門」という本を取り出しその文章を調べると、「スタッフ以外立ち入り禁止」と書かれてあることが分かりました。
ダメだと分かっていつつも……僕はチェーンをまたいで階段を下りていきました。例え見つかって怒られても「ミャンマー語が分からなかったから」と言い訳すればいいや、と思いながら。
階段を下りた先には、両開きの重厚なドアが待ち構えていました。立ち入り禁止の看板、重厚なドア……、気になる度100%でした。
「どうせ鍵かかってるパターンでしょ」とドアを押してみると、ギィっと開いちゃったんです。かすかな光も漏れてきました。
心臓を高鳴らせてそっと覗くと……。
大きな手術台の上に、ヨボヨボの老人男性と3歳くらいの赤ちゃんが横たわっていました。
ピクリとも動かずに……。
「まさか……死んでるの……?」僕は部屋にその二人以外誰もいないことを確認し、その手術台の前まで行きました。
間近から見た老人と赤ちゃんは、目は陥没し、呼吸をしていませんでした。そう、完全に死んでいたのです。
怖くなってすぐに立ち去りました。
「なんで死体が手術台の上に放置されてるんだ……」不思議で仕方ありませんでした。
嫌なモノを見た……とかなり落ち込みました。
それから3日後の夜中。尿意をもよおした僕がトイレに行こうと廊下を歩いていると、正面から足音が聞こえてきました。
消灯後の暗い照明で、初めは分からなかったその姿……お互いが近づくにつれハッキリと見え始めると僕は震えが止まらなくなりました。
向こうから歩いてきたのは、地下の部屋で手術台に横たわり死んでいたはずの老人と赤ちゃんでした。
二人は手をつなぎ、まるで祖父が孫と散歩しているように歩いていました。そしてすれ違う緊張の瞬間、老人は僕の方を向きこう言ったのです。
「マトゥエイダーチャービナオ」
──病室に戻ってからそのミャンマー言を調べてみると……。
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