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この業界では、22時からの会議や打ち合わせというのがわりと普通に行われ、夕方から始まった会議が押しに押して深夜まで及ぶことも、ざらにある。

こういう時通常なら、終了時間がてっぺん(夜12時)を超えた場合、タクシーチケットというものが支給されるのであるが、ここ最近は、不況のせいでほとんど出してもらえない。

TV局によっては出してくれるところもあるが、制作会社などではまず望めない。

だから私は、遅い時間からの会議であれば、できるだけ終電で帰れるよう、チャキチャキと進めたいし、先方にもそうしてもらいたいと望んでいる。

しかしながら、誰かが遅刻して定時に会議が始まらなかったり、話が脱線して「いやぁ、俺、この間、レズの女とヤッちゃってさぁ……」なんていう、どうでもいいプロデューサーのエロ話を聞かされたりで、結局、終電に間に合わないケースが多々ある。

その日も、全く興味のないオッさんのナイトライフの話で会議が押し、あの話がなければ10分早く終わって終電にも間に合ったのに……と悔しい思いをしながらタクシーで帰宅することになった。

六本木の大通りでタクシーを止め「中野坂上までお願いします」と告げると、運転手は愛想よく「かしこまりました」と答え、車を走らせた。

その車中で、会議の際に配られた資料に目を通していると、「見にくくないですか? ライト点けましょうか?」

運転手はそう言ってライトを点けてくれた。私は、その気配りが嬉しくて、

「ありがとうございます。……でも、もう大丈夫です」

と、資料をカバンの中にしまい、運転手と少しずつ話をし始めた。

「今日は、道、空いてますね。平日は、いつもこんな感じですか?」

「そうですねぇ、平日は大体こんなもんですかねぇ。まあ、週末も、以前に比べたら、車の数は減ってるし、やっぱり不況なんでしょう……」

そんなベタな入りから話を進めていたのだが、私はいつも、感じの良い運転手さんとしか話をしない。無愛想だったり陰気だったりする人の場合は、目的地まで乗せてもらうだけ。

だが、この日は、色々と話しながら帰った。車を走らせて、しばらくした頃。他愛もない話でそれなりに盛り上がっていた、その時───

“キキキキ───”

運転手は急ブレーキを踏み、その衝撃で、私は助手席のシートにぶつかった。

「おっととと……。ビックリしたぁ! どうしたんですか?」

体をゆっくり起こしながら、運転手に聞くと、
「ごめんなさい。急に女性が飛び出してきたもんだから。危ないなぁ……。本当にごめんなさいね。大丈夫でしたか?」

そう言って私を気遣ってくれたのだが、私にはその女性の姿が一切見えず、その後、道路を振り返って、そこかしこを確認しても、どこにも女性の姿はなかった。

「あの……女性って? どこにもいませんけど……」

私の言葉を聞いて、運転手は「またか……」とつぶやき、こう言った。

「この辺ね、よく出るんですよ。その……霊的な類のヤツが。そういや、この間も、この道通ってたら、遠くから何かが飛んできて、何だ?と思ったら、人の腕。ブラ~ンとした腕だけがフワフワと浮いて、フロントガラスをすり抜けていったんですよ……」


なんと、その道は“そういう類のもの”が頻繁に出る道で、この人は“見える人”だったのだ。

私は、今度から、タクシーに乗る時はその道を極力通らないルートでお願いしよう! そう心に誓い、しばらく行くと、目的地に着いた。

「あの交差点の手前で止めて下さい」

そう言って車を止めてもらい、清算しようとした時のこと。

運転手はサラッと言った。

「お連れの男性も、こちらでいいんですかね?乗って来られた時からずっと黙ってらしたけど……相当、お疲れみたいですね」

「えっ?」

私の顔が一瞬にして曇り、青ざめたのを察知した運転手は、どうやら、それが自分にしか見えていない乗客だったことを悟り、

「お連れ様の方は、もうしばらく行ったところで下ろしましょうか?」

そう提案してくれた。

「あぁ、そうですね。できれば、ここから10キロ以上離れたどこかで適当に」

私がなんとか平静を装って答えると、運転手はまた愛想よく「かしこまりました」と言ってドアを閉め、車を走らせた。

あの日、私の隣には、どんな男が座っていたのだろうか?
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