テレビや新聞の報道で伝えられる数多くの事件。
その裏で心霊現象が起こっていることが多いが、報道でそれを伝えることは非常に少ない。
容疑者が平気な顔をしてインタビューを受けていた殺人事件。
現場のマンションを空撮した映像で、誰もいないはずの容疑者の部屋のベランダの扉がスッと開いたり、知人の子どもと自分の子どもを殺したという母親の部屋の扉に、子どもらしき影が映っていたり。
報道映像の中にもしばしば霊は映り込んでいる。しかし、マスコミが大々的にそれを報じる事は、まずない。
やはり、不確定なものは報道としてニュースとして扱えないからだろう。僕が見たあの写真も新聞社のカメラマンが撮影したものだった。
しかし、結局表には出る事がなかったのだ。出版社に勤める僕が、新聞社の友人にある話を聞いた。
九州にある、とある女子高校で臨海学校が開かれていた。その学校はスポーツに特に力を入れていて、陸上部やソフトボール部が強い事でも有名だった。
また、水泳部には当時の高校生の日本記録を作ったSさんがいて話題となっていた。そんな彼女たちが、臨海学校で遠泳訓練をしていた時の事。
将来のオリンピック候補としても注目を集めていた水泳部のSさんの取材に、新聞社のカメラマンが密着していた。
学校としても、知名度が上がるチャンスでもあるし、積極的にカメラマンの取材を受けさせていた。
遠泳訓練に参加したSさんは、もちろん海の中でも変わらぬスピードで他の生徒をぐんぐんと引き離していった。浜辺から望遠レンズでSさんの泳ぎを追っていたカメラマンはため息をついた。
「早くオリンピック来ねーかなー」
きっと彼女なら世界の強豪と戦っても引けはとらないだろう。スポーツ選手を追ってきたカメラマンとして、彼女の才能にはビンビンくるものがあった。
彼女がダントツの1位で沖合のブイを折り返した。その瞬間、事故は起きた。それまで順調にきれいなフォームでクロールを泳いでいた彼女が、突如、水面であがき出した。
ふざけているようだった。だれしもがそう思ったのだが、次の瞬間、Sさんは水中へと消えた。教師たちが慌ててボートを、Sさんが沈んだ辺りへ急がせる。
何人かの教師はすでに海へと飛び込んでいた。
教師たちがあたりを捜索するが、Sさんは見つからなかった。
5分が経ち10分が経ちしばらくすると救急隊がかけつけた。そして、沖合から水難救助のための船舶がやってきた。
──結局、Sさんが見つかったのは3カ月後だった
将来の五輪候補と期待されていた彼女の最期は、水死というなんとも皮肉なものだった。
生きている事を信じて待っていたSさんのご両親は目を真っ赤に腫らして葬儀に参列していた。
その様子を取材したのが、あの時、臨海学校に密着していたカメラマンだった。どこからかその情報を聞きつけたSさんのご両親がカメラマンを見つけて近づいてきた。
「あの子の最後の日の写真を分けてもらえませんか?」
カメラマンは、素直に首を縦に振れなかった。あの日、彼女を撮った写真は数十枚ある。しかし、ご両親に見せていいものかどうかわからない写真が混じっているのだ。
落ち着いてから見られてはどうか、とご両親にすすめたが、頑として聞いてくれなかった。そこまで言うならどうぞ、と胸ポケットから写真を取り出しご両親に渡した。
元気いっぱいの笑顔を見せるSさん。
これから起きる惨事にまったく気づいていない様子だ。
そして、海の中を颯爽と泳ぐSさん。誰よりも早くブイにたどり着く。次の写真、事故の瞬間を写しだしたその一枚は衝撃だった。
海の中から伸びた無数の手が、Sさんの腕や肩をがっしりと掴んでいる。そして、沈めようとしているのだ。数枚にわたって、Sさんがあがいている模様が写っているのだが、明らかに無数の手はSさんを徐々に沈めていっている。
そして、最後の写真は緑色の海面が広がっているだけ……。
それを見たご両親は泣き崩れてしまった。もちろんしょうがないことである。娘の最期を見てしまったショックと、不気味な手によって沈められてしまったというショック。
実際にカメラマンもそれを見た時はしばらく立てなかったという。
後日わかったのは、あの海域で第二次世界大戦の頃、新兵を鍛えるために遠泳が行われていたそうで、先輩達の激しいシゴキに耐えきれず、何人もの新人が力尽きて亡くなったそうだ。
そんな新兵たちの死は、訓練中の死亡として、イジメなどの事実は伏せられたまま殉死扱いとなり非業の死を遂げていたのである。
おそらく、そんな新兵達の霊が、遊泳者を引きずり込んでしまうのではないかと思われる。
あれ以来、そこで遠泳訓練を行う学校はなくなった。しかし、たまに何も知らない海水浴の客が溺れる事故が今でも起きるという。
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その裏で心霊現象が起こっていることが多いが、報道でそれを伝えることは非常に少ない。
容疑者が平気な顔をしてインタビューを受けていた殺人事件。
現場のマンションを空撮した映像で、誰もいないはずの容疑者の部屋のベランダの扉がスッと開いたり、知人の子どもと自分の子どもを殺したという母親の部屋の扉に、子どもらしき影が映っていたり。
報道映像の中にもしばしば霊は映り込んでいる。しかし、マスコミが大々的にそれを報じる事は、まずない。
やはり、不確定なものは報道としてニュースとして扱えないからだろう。僕が見たあの写真も新聞社のカメラマンが撮影したものだった。
しかし、結局表には出る事がなかったのだ。出版社に勤める僕が、新聞社の友人にある話を聞いた。
九州にある、とある女子高校で臨海学校が開かれていた。その学校はスポーツに特に力を入れていて、陸上部やソフトボール部が強い事でも有名だった。
また、水泳部には当時の高校生の日本記録を作ったSさんがいて話題となっていた。そんな彼女たちが、臨海学校で遠泳訓練をしていた時の事。
将来のオリンピック候補としても注目を集めていた水泳部のSさんの取材に、新聞社のカメラマンが密着していた。
学校としても、知名度が上がるチャンスでもあるし、積極的にカメラマンの取材を受けさせていた。
遠泳訓練に参加したSさんは、もちろん海の中でも変わらぬスピードで他の生徒をぐんぐんと引き離していった。浜辺から望遠レンズでSさんの泳ぎを追っていたカメラマンはため息をついた。
「早くオリンピック来ねーかなー」
きっと彼女なら世界の強豪と戦っても引けはとらないだろう。スポーツ選手を追ってきたカメラマンとして、彼女の才能にはビンビンくるものがあった。
彼女がダントツの1位で沖合のブイを折り返した。その瞬間、事故は起きた。それまで順調にきれいなフォームでクロールを泳いでいた彼女が、突如、水面であがき出した。
ふざけているようだった。だれしもがそう思ったのだが、次の瞬間、Sさんは水中へと消えた。教師たちが慌ててボートを、Sさんが沈んだ辺りへ急がせる。
何人かの教師はすでに海へと飛び込んでいた。
教師たちがあたりを捜索するが、Sさんは見つからなかった。
5分が経ち10分が経ちしばらくすると救急隊がかけつけた。そして、沖合から水難救助のための船舶がやってきた。
──結局、Sさんが見つかったのは3カ月後だった
将来の五輪候補と期待されていた彼女の最期は、水死というなんとも皮肉なものだった。
生きている事を信じて待っていたSさんのご両親は目を真っ赤に腫らして葬儀に参列していた。
その様子を取材したのが、あの時、臨海学校に密着していたカメラマンだった。どこからかその情報を聞きつけたSさんのご両親がカメラマンを見つけて近づいてきた。
「あの子の最後の日の写真を分けてもらえませんか?」
カメラマンは、素直に首を縦に振れなかった。あの日、彼女を撮った写真は数十枚ある。しかし、ご両親に見せていいものかどうかわからない写真が混じっているのだ。
落ち着いてから見られてはどうか、とご両親にすすめたが、頑として聞いてくれなかった。そこまで言うならどうぞ、と胸ポケットから写真を取り出しご両親に渡した。
元気いっぱいの笑顔を見せるSさん。
これから起きる惨事にまったく気づいていない様子だ。
そして、海の中を颯爽と泳ぐSさん。誰よりも早くブイにたどり着く。次の写真、事故の瞬間を写しだしたその一枚は衝撃だった。
海の中から伸びた無数の手が、Sさんの腕や肩をがっしりと掴んでいる。そして、沈めようとしているのだ。数枚にわたって、Sさんがあがいている模様が写っているのだが、明らかに無数の手はSさんを徐々に沈めていっている。
そして、最後の写真は緑色の海面が広がっているだけ……。
それを見たご両親は泣き崩れてしまった。もちろんしょうがないことである。娘の最期を見てしまったショックと、不気味な手によって沈められてしまったというショック。
実際にカメラマンもそれを見た時はしばらく立てなかったという。
後日わかったのは、あの海域で第二次世界大戦の頃、新兵を鍛えるために遠泳が行われていたそうで、先輩達の激しいシゴキに耐えきれず、何人もの新人が力尽きて亡くなったそうだ。
そんな新兵たちの死は、訓練中の死亡として、イジメなどの事実は伏せられたまま殉死扱いとなり非業の死を遂げていたのである。
おそらく、そんな新兵達の霊が、遊泳者を引きずり込んでしまうのではないかと思われる。
あれ以来、そこで遠泳訓練を行う学校はなくなった。しかし、たまに何も知らない海水浴の客が溺れる事故が今でも起きるという。
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