そうだ、作家になろう!
そう心に決めて上京したのが、今から8年前のこと。
東京に強力なコネがあったわけでもなく、ただなんとなく、東京に行けば、どうにかなるんじゃないかという思いで関西から出てきた私だが、これが不思議と、どうにかなっている。
というのも、私が上京してきた時、東京在住の友人が超大物作家Aさんのお弟子さんと知り合いだということで、その方を紹介してくれたのだが、そこからすんなりAさんの事務所に入れてもらえたからだ。
といっても、私はAさんとは全くと言っていいほど面識がなく、事務所の作家陣を束ねていたのはYさんだった。
Yさんは80年代、90年代の超人気バラエティを何本も抱える売れっ子作家で、若い頃は相当に稼いでいたそうだ。
そんなYさんから業界のイロハを色々と教えて頂いたのだが、私が事務所に入って2年足らずでYさんはこの世を去ってしまい、それと同時に、私も事務所を去った。
以来ずっとフリーで食い繋いでいるのだが、なにせ、この仕事は不安定である。
レギュラーや特番がドドドっと入って来る時もあれば、めちゃくちゃ暇な時もあるし、何より恐ろしいのは、レギュラー番組が何の前触れもなく、突然打ち切りになること。これこそ、一番の“芸能界の怖い話”だと思う。
あれは3年ぐらい前のことだろうか。それまで順調に入ってきていた仕事がだんだん滞り、気が付けば、レギュラーがラジオ1本とBS番組1本の計2本。
この2つを合わせてのギャラが15万あるかないかという非常事態に陥った。
家賃に電話代、光熱費、食費、交通費など、色々足していくと……足りない!15万じゃ、とても足りない!なんとかしなければ!そう思った私はバイトをすることにした。
この東京砂漠で生きていくためには、バイト嫌だとか言ってる場合じゃないし。しかし、できればラクして高収入をと考えると、やはり水商売が手っ取り早い。
でもキャバクラはキャラじゃないし……ていうか、年齢的に無理か……などと思案していると、近所のスナックがバイトを募集していたので、面接に行ってみた。
時給1500円に食事付き。ママはとても良い人で「あなたさえよければ、すぐに来て」と言ってくれたので、そこに決めた。
中野にあるその店は、10人掛けのカウンターにテーブルが4つほど並ぶ小さな店舗だったが、いつも賑わっていた。
店に来るのはほとんど近所に住む常連さんで、その大半は個性の強いおっちゃんたち。
その中でも忘れられないのが、Kさんだ。
Kさんは必ず、店に来る前、電話をかけてきて
「あいてる?」
と、席が空いているかどうかの確認をする。
他のお客さんはフラッと現れて、いっぱいだったら帰っていくのだが、Kさんは、せっかく行ったのに、いっぱいで入れないというのが嫌なのだ。
だから電話で事前確認して、席を確保してから店にやって来る。
その日も、Kさんからの電話が入り
「今、あいてる?」
と聞かれたので、私が「あいてるよ」と言うと「じゃあ、もうちょっとしたら行く」と電話を切った。
それから、ほどなくしてKさんが来店し、ママと私と、もう1人の女の子エミちゃんとでKさんを出迎えた。
その時、店にはKさんの他、お客さんは2人ぐらいしかおらず「今日は珍しく暇そうだね」なんて言いながら、他愛もないバカ話で盛り上がっていた。
そして、次の日。いつものように入店し、常連さんたちと話していると、1人のお客さんが思い出したように言い出した。
「そういや、Kさん、気の毒だったね」
その言葉を聞いてキョトンとしている私に、その人は、
「あれ?知らないの?Kさん、亡くなったんだよ。3日前に心筋梗塞で」
と言う。ビックリした私は、
「えっ!そんなわけないでしょ?だって、昨日、Kさん来たよ。ママもエミちゃんも一緒にいたから。ねえ?」
ママとエミちゃんに同意を求めると、2人とも頷いているし、絶対にそんなわけない!そう思いながらも、私の胸の鼓動は高鳴っていた。
……と、そこに店の電話が鳴り、私は一瞬「まさか?」と思った。
そして、恐る恐る電話に出てみると、声の主は、いつものあの人だった。
「もしもしKだけど……あいてる?」
その声を聞いて呆然としている私を見て、悟った様子のママが受話器を取った。
「もしもし、Kさん?あのね……あなた、もうここには来ちゃダメ。早く逝った方がいいわ」
と言い、最後に「じゃあね」と優しく言い放って電話を切った。
それ以来、Kさんからの電話がかかってくることはなく、そうこうしている間に、私の本業も徐々に忙しくなってバイトは辞めてしまったのだが、時折、あの人の声が蘇ることがある。
「あいてる?」
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そう心に決めて上京したのが、今から8年前のこと。
東京に強力なコネがあったわけでもなく、ただなんとなく、東京に行けば、どうにかなるんじゃないかという思いで関西から出てきた私だが、これが不思議と、どうにかなっている。
というのも、私が上京してきた時、東京在住の友人が超大物作家Aさんのお弟子さんと知り合いだということで、その方を紹介してくれたのだが、そこからすんなりAさんの事務所に入れてもらえたからだ。
といっても、私はAさんとは全くと言っていいほど面識がなく、事務所の作家陣を束ねていたのはYさんだった。
Yさんは80年代、90年代の超人気バラエティを何本も抱える売れっ子作家で、若い頃は相当に稼いでいたそうだ。
そんなYさんから業界のイロハを色々と教えて頂いたのだが、私が事務所に入って2年足らずでYさんはこの世を去ってしまい、それと同時に、私も事務所を去った。
以来ずっとフリーで食い繋いでいるのだが、なにせ、この仕事は不安定である。
レギュラーや特番がドドドっと入って来る時もあれば、めちゃくちゃ暇な時もあるし、何より恐ろしいのは、レギュラー番組が何の前触れもなく、突然打ち切りになること。これこそ、一番の“芸能界の怖い話”だと思う。
あれは3年ぐらい前のことだろうか。それまで順調に入ってきていた仕事がだんだん滞り、気が付けば、レギュラーがラジオ1本とBS番組1本の計2本。
この2つを合わせてのギャラが15万あるかないかという非常事態に陥った。
家賃に電話代、光熱費、食費、交通費など、色々足していくと……足りない!15万じゃ、とても足りない!なんとかしなければ!そう思った私はバイトをすることにした。
この東京砂漠で生きていくためには、バイト嫌だとか言ってる場合じゃないし。しかし、できればラクして高収入をと考えると、やはり水商売が手っ取り早い。
でもキャバクラはキャラじゃないし……ていうか、年齢的に無理か……などと思案していると、近所のスナックがバイトを募集していたので、面接に行ってみた。
時給1500円に食事付き。ママはとても良い人で「あなたさえよければ、すぐに来て」と言ってくれたので、そこに決めた。
中野にあるその店は、10人掛けのカウンターにテーブルが4つほど並ぶ小さな店舗だったが、いつも賑わっていた。
店に来るのはほとんど近所に住む常連さんで、その大半は個性の強いおっちゃんたち。
その中でも忘れられないのが、Kさんだ。
Kさんは必ず、店に来る前、電話をかけてきて
「あいてる?」
と、席が空いているかどうかの確認をする。
他のお客さんはフラッと現れて、いっぱいだったら帰っていくのだが、Kさんは、せっかく行ったのに、いっぱいで入れないというのが嫌なのだ。
だから電話で事前確認して、席を確保してから店にやって来る。
その日も、Kさんからの電話が入り
「今、あいてる?」
と聞かれたので、私が「あいてるよ」と言うと「じゃあ、もうちょっとしたら行く」と電話を切った。
それから、ほどなくしてKさんが来店し、ママと私と、もう1人の女の子エミちゃんとでKさんを出迎えた。
その時、店にはKさんの他、お客さんは2人ぐらいしかおらず「今日は珍しく暇そうだね」なんて言いながら、他愛もないバカ話で盛り上がっていた。
そして、次の日。いつものように入店し、常連さんたちと話していると、1人のお客さんが思い出したように言い出した。
「そういや、Kさん、気の毒だったね」
その言葉を聞いてキョトンとしている私に、その人は、
「あれ?知らないの?Kさん、亡くなったんだよ。3日前に心筋梗塞で」
と言う。ビックリした私は、
「えっ!そんなわけないでしょ?だって、昨日、Kさん来たよ。ママもエミちゃんも一緒にいたから。ねえ?」
ママとエミちゃんに同意を求めると、2人とも頷いているし、絶対にそんなわけない!そう思いながらも、私の胸の鼓動は高鳴っていた。
……と、そこに店の電話が鳴り、私は一瞬「まさか?」と思った。
そして、恐る恐る電話に出てみると、声の主は、いつものあの人だった。
「もしもしKだけど……あいてる?」
その声を聞いて呆然としている私を見て、悟った様子のママが受話器を取った。
「もしもし、Kさん?あのね……あなた、もうここには来ちゃダメ。早く逝った方がいいわ」
と言い、最後に「じゃあね」と優しく言い放って電話を切った。
それ以来、Kさんからの電話がかかってくることはなく、そうこうしている間に、私の本業も徐々に忙しくなってバイトは辞めてしまったのだが、時折、あの人の声が蘇ることがある。
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